【巡拝ガイド】
広島市内コースの巡路
法真寺→宇品5丁目(電停)→比治山下(電停)→東広島橋または鶴見橋を西へ→平塚陸橋→興禅寺→三輪不動院
■興禅寺の本尊阿弥陀如来
興禅寺の阿弥陀如来坐像は鎌倉時代に作られたものです。高田郡甲田町の三上家から勧請したもので、宮島の光明院のあったものと伝えられています。
■縁起
永正年代(1500)の頃から禅宗寺院として広島県高田郡吉田の郡山城の麓にあった。
大永三年(1523)毛利元就が郡山城に入ってから厚く尊崇されたが、その当時の開基開山は詳でない。
天正十九年(1591)毛利輝元は広島城に移り、翌文禄元年(1592)興禅寺を現地平塚に移した。
その後輝元が帰依された雲嶺禅師を名古屋市の海国寺より請じ開山とし臨済宗妙心寺派に属した。
慶長五年(1601)輝元萩に移り、広島は福島を経て、
浅野長晟が元和五年(1619)広島に封ぜられしより、雲嶺禅師に深く帰依され、
それからは浅野家歴代藩主の信心並びに庇護をうけ宗風大いにあがり、
末寺五ケ寺を有して広島で屈指の名刹に数えられた。
時はたち明治になり社会情勢の変転の影響をうけ往時をしのぶことはできず、
加えて昭和二十年の戦火のため堂宇寺宝記録の一切を焼失した。
昭和三十五年再建し、本尊阿弥陀如来は高田郡甲立町三上家より勘請したもので
鎌倉時代の作といわれ宮島の光明院にあったものと伝えられている。
原爆で吹き飛んだ首なし地蔵・鬼瓦を平和学習の一環として、生徒の皆さんにもお参りいただいています。