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マツオジンシャ

松尾神社

宝塚市 阪急山本駅 北西5分 開運・隆盛の神が宿る松尾神社

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0797-89-8725

松尾神社は地元では「東の宮さん」と呼ばれ
西の天満神社と並んで旧川辺郡山本村の産土神です。
創建当初は祭神坂上田村麻呂公の幼名から松尾丸社と称されました。
本殿は宝塚市の指定文化財に、一位樫(イチガシ)を始め樹木の生い茂る境内は
田村の森と呼ばれ自然環境保全区に指定されています。
  • 参道上参道上
  • 一位樫一位樫
  • 福火福火

詳細情報

【由緒】
 阿智王(中国後漢帝の子孫)は応神天皇20年(西暦289)に我国に帰化し大和朝廷で
武・法・文を掌どり準内大臣に昇り、その一族は同祖秦氏と共に各地において建築・織物・
染色・鍛冶・陶器・彫刻・農耕・治水などの技術を伝え我国文化の発展に貢献した。
『柏葉集』『松尾丸社縁起』によるとその阿智王から八代目坂上苅田麻呂が京都松尾大社に
祈り得た子が坂上田村麻呂であり、幼名を松尾丸と名付けられた。
後に田村麻呂公は桓武、平城、嵯峨の三帝に仕え、蝦夷討伐をはじめ各地を平らげその勲功により延歴16年(西暦798)征夷大将軍に任じられ、他に嵯峨天皇の命により京都東山に清水寺を建立した。
 時下って清和源氏・源満仲は田村麻呂公を祖とする坂上党武家団の頭梁、坂上頼次に山本郷を委ね、頼次は田村麻呂公の遺品を奉載して山本郷を開郷し一族を配し多田政所の警衛にあたった。
中でも坂上季長は九城(川西市久代)に住み武略・弓術を指導し信任厚く、その子季猛も渡辺綱、推井貞光、坂田金時らと共に仕え源氏四天王といわれた。

 安和年間にその季猛が先祖を祀り山本郷の産社とし、天下平治を祈った。これが松尾丸社創建の伝詳である。以後将軍家の祖神として崇敬され中でも源頼朝の信仰が厚かった。

 室町幕府の衰退により塩川伯耆守国満が信長の下に走り天正年間(西歴一五七三~)に山本郷を襲い、松尾丸社をはじめ武家舘悉く炎上し、その後現在の場所に移し松尾神社と改称して今日に至る。

 現本殿は寛文11年(西暦1671)の再興で昭和57年に市文化財に指定される。
 本殿覆、幣殿、拝殿、神輿庫、薬師堂は昭和63年に、社務所は平成元年に改築された。


 【祭禮】
2月20日 祈年祭(御弓祭)  / 弓道大会開催 毎年2月
5月8日 春季大祭:天満神社との間を神輿渡御「とんとこ祭り」と呼ばれる
 (五年毎に斎行され次回は令和10年)
9月1日 八朔祭
10月25日 例祭(秋季大祭):天満神社と共に斎行され三基のだんじりが宮入りする
11月27日 新穀感謝祭


松尾神社
0797-89-8725

〒665-0881 兵庫県宝塚市山本東1丁目9-1

  • 狛犬狛犬
  • 神輿神輿
  • 薬師堂薬師堂

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